過去の自分にありがとう②

前からやってみたいと思っていた事を

実際に試してみると、想像とは違い、

期待外れな結果になる事はままある。

 

しかし、やってみたいと思うワクワクの

気持ちが誘導してくれた先には、単純に

面白いか否か、やりがいがあるかどうか

だけでは終わらない、思いもかけない

宝物が待っている時もある。

 

私の場合、自分の子供が幼い頃から、

塾講師をしたいと思っていた。

塾が始まるのは大抵夕方からで、何人か

(何クラス)を受け持とうと思うと、

終了時間が遅くなってしまう。

 

子供を預けていた公立の保育園では、

きっちり決まった時間までしかみては

もらえなかった。(確か5時か6時)

一度だけお迎えの時間に遅れた時は

鍵のかかった門の前で、担任の先生と

息子は手をつないで私を待っていた。

 

家族の生活リズムを乱すわけにはいか

ないと考え、9時から5時といった

時間帯で会社で働くことが多かった。

息子が小学校にあがると尚更、子供の

生活に合わせる必要を感じて、夕方から

夜働く事は好ましくないと考えていた。

 

今、思い返すと、リーマンショック

きっかけで、派遣会社が紹介してくれる

仕事がいくらでもあった状態から、突然

契約終了の告知をされ、その後の仕事の

手配などまったくしてもらえない状況に

追い込まれた。

 

しばらく失業給付を受けたあと、

アルバイト先をみつけた。それだけでは

到底派遣で得ていた収入には追いつかず、

そこで初めて昼間のアルバイトの他に

塾で週に2.3回、短時間でも教えて

みようという決心をした。

 

子供もその時はすでに、小学校の高学年に

なっていた。

とは言え、自宅から電車で30分ほどかかる

塾に私がいて、子供は家に置いておくのは

災害などあっては困ると心配だった。

結果、私が授業をしている間、息子には、塾の

近くのファーストフード店で、宿題をやりつつ

帰りを待っていてもらった。

 

そこまでして他人の子に教えて、自分の子を

ひとりにする必要があるのか、と今書きながら

思うが、当時はどうしてもやってみたかった。

 

そして、その経験が、5年後に想定外の形で

私に別のモノをもたらしてくれる。

 

実際塾に通う生徒にとって、自分が役に立った

かは怪しいところだったが、それから数年後、

その経歴が役に立った。

大阪に移住後、東京で登録した派遣会社の

大阪支店の担当者が講師経験というキーワード

を手がかりに連絡してきてくれた。

 

全国各地で会計システムの操作説明会を行う

という仕事だ。

講師は4名。地域を手分けして北海道から沖縄

まで、全国を訪れるのだ。

たまたま私が担当になった倉敷や金沢は

以前から訪れたいと思っていた街で

出張の合間に観光もできた。

 

説明会の参加者は、15名程度の時もあれば

100名の時もあった。

行きたい場所に行けたのも収穫だったが、

何より、幼稚園、小学校に通っている頃、

人前で話すのが好きだったと思い出した。

 

塾で教えてみたい、という自分の気持ちに

従った経験が、知らない世界を見せてくれ、

また自身の幼い頃の得意げな昂揚を大切に

したいと思わせてくれた。

 

人生、何がどこに繋がるのか想像もできない。

自分の声に素直に従って行動してみても

悪いようにはならない気がするのです。

やらずに終わらなかった自分にありがとう。f:id:konogaiku:20210928015411j:plain