神社は非日常体験 お参りの意味

先月熊本に行く機会があり、

パワーを頂きたくて、神社を

訪れることにした。


友達にすすめられて行った神宮の

裏手にジブリの世界を彷彿させる

森が広がり、文字が消えかかった 

立て看板の指示に従ってしばらく

歩き進んでいた。


11月の晴天の日で、午前11時前でも

日向を歩くとシャツ1枚で汗ばむ

ほどの暖かさ。

一方、神社の敷地の中は特有の

空気が漂い、日陰は冷気を感じた。


寒いと感じながらもジブリの森を

歩き続けた。

立て看板の最終地点に何があるのか

看板の文字が読めないだけに余計に

気になったが、私以外の人けがなく、

怖くて途中で断念した。


来た道を戻る中、ふたごの様に途中

から幹が分かれている数百年選手の

杉の木が私を見下ろしていた。

実際は見守ってくれていたのかも

しれないが、とに角怖かった。


都市に住んでいると、何かを怖い

と感じる機会はとても少なくて

その時間が有難い。

神社の、特に裏手にまわる事に

意義を感じる。


人間に天敵がいなくなって、

世界を上手にまわしているか

と言えばそうではなく、共通の

敵が現れない限り地球人は団結

しない。


話が遠くなったが、人間はいつも

自然の一部で、生かされていると 

いう当たり前の事を恐怖と交換に

教えてもらえる。


帰り道にお天道様が木々の間から

光を与えてくれ、日向を作って

くれた。

畏敬の念を抱いたあとの安心感。


それは都会に帰ってもいつも

空から見守っているよ、という

メッセージに思えた。

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