結局子どもは親を軽蔑する。なぜなら親だから。
絵本作家さんのインタビュー記事を
読んでいて、この言葉が、とても
しっくりきた。
絵本を通じて他人のお子さんへ向けて
役立つ事を伝えたいと仕事をしている
彼が、ご自身のお子には、いかにも
親が言いそうな正論を吐いてしまうと。
私も自分の子どもに伝えたい事を日々
発しているが、心に響いている手応え
はまったくない。
そうか。自分も親に対してそうだった。
身近にいる大人だから欠点が見えやすい
とか、自分が新しい事をしようとした時
何度か気持ちをそぐような事を言われた。
といった軽蔑の理由になりそうな事を
とっぱらって、シンプルに親だから、と
思うと気が楽になる。
実際、子どもに言っても吸収されない
情報が、私以外の誰かやメディアからの
発信だと納得している様子がうかがえる。
相手が自分の子どもの場合、なぜわかって
くれないの、わからせたいという変なリキ
が入ってしまうが、よそ様のお子相手だと
今わからなくてもいいよーくらいの余裕が
ある。
そうだ。響かないなら言う必要もない。
これだけ情報が溢れていて、情報をとる
手段も心得ている子どもに向かって大事
な事を伝えておきたいと躍起になる必要
はないな。
面白いニュースや動画があったら教え
合うくらいのスタンスでいいや。
その絵本作家さんは、子ども達だけでなく、
親にも指針を与えてくれる、と思った。
ロスの自動運転タクシーを観て運ちゃんとの会話を思う
テレビの番組でロスアンゼルスの街を
放映している中で、自動運転のタクシー
を紹介していた。
ふーん、安全性はどうなんだろうと思い
ながら観ていたが、人が運転するより
事故の確率が低いというデータが出たそう。
思い起こせば米西海岸のほんの1週間程度
の滞在中、私が事故って大破した車を見た
のは2回。
すぐに片付けてなく目立っていたのかも
しれないが、そもそも彼の地では事故が
多いという印象を持っている。
事故と犯罪の両方の危険性から利用客
が守られるということか。
と、ふとここで運転手さんとの交流が
なくなるのは淋しいと感じる。
私が初めて海外でタクシーに乗ったのは
サンフランシスコ。
同じツアーに参加した女性4人でお目当て
の店を目指したのだが、営業しておらず、
夜の街を皆でブラブラしていた。すると
ひとりの見知らぬ男性に声をかけられた。
目つきの鋭い方で、最初我々は(なに?)と
危ぶんでいたが、よく聞いてみると、
「この辺は危ないから街の中心に
戻りな。」
と言って、タクシーを止めてくれたのだ。
ありがとう!と男性に皆で手を振り、
運転手さんに街の中心近くで
おすすめのライブハウスに
連れて行ってくれるよう頼んだ。
がしかし、おすすめの店は健全過ぎた。
バンジョーを複数人でかき鳴らす様が
窓から見えた。
とにかく私の趣味には合わなかった。
それでもホテルに近いし、この店に入れば
安全かなと私以外の3人に意見を聞くと、
「やだー!」と異口同音で、我々はまた
宿泊場所から遠ざかって行った。
今度はタクシーに乗って。
結果みんなが楽しめる店を運転手さんに
連れて行ってもらえた。
楽しいひとときを過ごして、
帰りもタクシーを呼んでもらい、
無事、自由時間を過ごせた。
ニューヨークに初めて降り立った時は
シルベスター・スターローン似の
ドライバー(この言葉の方が彼には合う)
が空港に迎えに来ていた。
日本人のコーディネーターも一緒だった
ので、彼女がずっとスタローンと雑談して
おり、私はほとんど彼と直接話さなかった。
別れ際に「ハブアナイスデイ」と私に言った
その声も心なしかスタローン風だった。
印象に残ったのはドライバーとの境に
仕切りがあったこと。
網の目状になっていて、危険な客から
運転手の身を守るものだと知った。
そんなにココは物騒なのかとおののいた。
その20年後、NYの空港に10才の息子と
ふたりで降り立った私。
天候のせいで夜の10時過ぎに到着となり、
急いでタクシー乗り場を目指す。
途中で白タクの呼び込み人に声をかけられ
まくったが、断り続けて黄色のタクシーに
乗り込んだ。
!!運転手との間に仕切りがない!?
ラテン系の運転手は、これはハイブリッド車で
システムは日本製だと教えてくれた。
夜の繁華街を通り抜け、さらに住宅街に
入る。
夜中の12時前の時間帯。
子連れで夜のNYを走るのは、車内にいる
とはいえ、緊張するものがある。
確かにヤクの売人の様な雰囲気の人しか
外にいなかった。
が、路上に駐車している車を見ると、綺麗で
驚いた。
映画やドラマからの印象だと、車を止めて
置こうものなら何をされるかわからない、
と思い込んでいた。
明らかに20年前とは違う様子。
いま現在はまた別の危険性が増えている
と聞くが、私が訪れた2回のNYには
歴然とした差を感じた。
そして義弟の家に到着。
住所はわかっているが、小学生の息子と
夜中に車を降りてふたりきりになりたくない。
携帯電話を日本に置いてきた私に代わり、
運転手さんが義弟に電話をしてくれた。
建物の上階から降りて現れた義弟は
190cmの黒人。
運ちゃんは思わず私を振り返って、
「あいつなのか?」
と聞いてきた。
「そうそう。彼が弟なの。」と
写真だけで知っていた義弟を見て安心した。
義弟が降りてくるまで一緒に待ってくれた
この運転手さんには感謝。
自動運転ではこうはいかないだろう、
と思うとやはり淋しい。
それともこんな客に関わる時間を省略
したい効率優先が生んだサービスか。

間違った方向へ行ったら軌道修正をかける
そもそもそれが間違った方向なのか
わからない時もある。
目の前にある事に取り組もうと
よくわからないまま、一生懸命に
やってしまって体がおかしくなった。
昨年末までの約1年間、
自分に合わない仕事を続けた結果、
ふだん意識しなくても
動いてくれていた臓器たちが
スムーズに動いてくれなくなった。
続けなければよかったものを
後半は無理して我慢していた。
朝起きて体が動かない、とまでは
いかなかったが、その仕事を始めて
1年経つ頃に、今までにないめまいや、
血圧の乱高下、その他諸々の不調に
悩まされ始めた。
仕事を辞めれば自然と治ると
思っていたが、職場を離れて
1か月経ち、プロの手を借りないと
改善できない状態だと知る。
そして1年かけて陥った不調は、
ほんの少しずつしか良い方向に
進んでいかない。
不調の始まりは昨年の4月。
風邪を引き、完治したと思ったが、
のどの詰まり感が残った。
鎖骨の間辺りが詰まっているようで
うがいをしても治らない。
東洋医学では梅核気(ばいかくき)と言い、
原因はストレスらしい。
黒柳徹子が昔体調をくずした際に
二度とこんな目にあいたくないと
医師にアドバイスを仰ぐと、
やりたくない事をしなければ大丈夫と
言われたエピソードを思い出す。
その話はずいぶん前から知っていたが
自分で身をもって証明してしまった。
私も二度と同じ状態にはなりたくない
と思う。
いま無理して、特に精神的なキツさを
抱えながら仕事している人がいたら、
勇気を持ってひとり働き方改革をして
欲しい。
我々の体は想像する以上にナイーブだ。
仕事でも、人でも、手放したい時は
素直に自分の気持ちに従って、
自身をいつくしむ。
そうしてまた、気を取り直して歩む。
生きているうちはゴールはない。
自分を大事にするしかない。
全部食べる正義、がひっくり返るとき
トルコで“完食=正義“は、ありえない。
イスタンブールのレストランで驚いた。
食事を残して話していると、
店員さんが来て何も言わずに皿を
サササーっと、片付けて
すぐに食後のお茶を持って来てくれる。
確かに、おなかいっぱいになってきて
話してはいたのだが、日本だと必ず
おさげしてよろしいですか?
のひと言があるだけに違和感が
半端ない。
もっと驚いたのが、友人である大学生の
トルコ人の女の子とその母親と食事した
時のこと。
自分達でこれとこれ、と指差して
盛り付けてもらうスタイルだったのだが、
2人共に思いっきり料理を残していた。
え〜、食材を大切にするというお手本を
オカンは示さなくてええのん⁈
と心の中であせった。
その時も店員さんが、さーっと現れて
沢山料理の残った皿を当然のように
引き上げて、小さいグラスに入った
お茶を出してくれた。
日本の習慣として、残さず食べるのが
礼儀だと教えられ、長年しみついている。
お百姓さんが作ったお米を一粒残さず、
というフレーズも度々よみがえる。
10日間のイスタンブール旅行。
なか1週間の滞在でその食事の習慣に
馴染めるわけもなく、友人の親戚が
作ってきた大量のおかずやデザートを
私は無理して一生懸命頬張った。
ただここで気がつくのは、子供達が
給食で残さず食べろと強制される様な
ことはないだろうな、という事。
学校に弁当を持参するのか、給食
なのか、家に帰って食べるのか、
確かめていないので、子供達の
昼食事情はわからない。
だが、大人も子供も要らない物は
要らない。
めちゃくちゃ空腹でも食べ始めたら
すぐに満腹になった、という時も
ある。
とにかく自由なのだ。
自分のカラダの声に忠実と言っても
いい。
そして周りの人間も放っておく。
日本人もそのあたりから変わって
いってもいいかもしれない。

本当に観てよかった韓国ドラマ-韓国エンタメ②
良い海外ドラマを観ると
いつも錯覚する。
その物語の舞台の街へ行くと、
慣れ親しんだ登場人物たちが
その場所で息づいていると。
実際に会えるような気がする。
今回観たドラマのタイトルはミセン。
“未生“と書いてそう読む。
韓国の囲碁用語で、
碁盤の中で死ぬ石なのか、
完全に生きる石なのか
まだわからない『弱い石』
を意味する。
題名からは計り知れない
物語の展開。
囲碁の世界を描いた作品かと
思いきや、現代に生きる誰もが
感情移入できる世界観。
なじめないストーリーどころか
リアルすぎて切ないし、
その人間模様全体を、終始
愛おしく感じていた。
物語の舞台は商社の営業部。
観ている側の我々が
雇われ人として感じる
悔しさや喜びといった
悲喜こもごもをギュウギュウ詰め
にしたエンターテイメント。
会社生活での同期の存在の有難さと
時が経つにつれて自分との比較で
一喜一憂の原因となっていく様が
リアル感この上なかった。
自分の新卒時代を懐かしく思い
出した。
一方で誇張されて描かれたかの
パワハラやセクハラの数々は
韓国の実情かと最初は思ったが
日本の職場でも今なお現存する
のではと考えさせられた。
先輩や上司にとても気を遣う場面
が多く、彼の国の慣習がうかがえる。
生きづらさをも想像できるが、日本と
よく似ていると、観ている人は、
日本で育った人は思うだろう。
簡単に言えば新入社員の成長物語。
けれど、弱い石は彼を差すだけでなく、
我々みながミセンであり、かつまた
可能性を持っている、と認識できる
ラストだった。
すべての人に観て欲しいと思う。

韓国エンタメから考える①-音楽
今をさかのぼること30年。
留学生のパク君に聴かせてもらった
当時韓国で流行りの曲。
えっ、これが今、流行ってる曲?
なんと表現したらよいのか。
言えない。
とにかく1994年の夏に聴いたその音楽は
J-Popとは似ても似つかず、
私がよく聴く洋楽とも違い、
時代遅れ感がハンパなかった。
そして、あれから30年経った今。
私は料理をしながらKPOPをよく聴く。
みんな大好きニュージーンズ だ。
流行りを追いかけているわけではない。
R&Bを基調とした曲の数々は、私が何十年も
聴き続けてきたブラックミュージックを
取り入れている。
日本はこの30年の間に音楽業界で韓国に
負けた。と言っても過言ではない。
世界戦略で負けたのは周知の事実だ。
なぜ負けたんだろう?と初めは思った。
BTSのようなグループを作って、歌や
踊りで勝負する。
日本の芸能界でもできたんじゃないの?
と。
そして韓国の音楽業界との本気度の違い、
を感じた。
本気で世界に受けるものを作らなければ
生き残れない。
マーケティングを徹底して行い、流行る
ジャンルをつかんだら、歌い手に歌と
ダンスと語学を叩き込む。
歌が上手いのは当たり前で、複数人で
一糸乱れぬその踊りと卓越した日本語力を
見せつけられるたびに、相当きびしい訓練
を受けているのだろうと想像できた。
ターゲットは世界へと変わり、英語も
よどみなく操るようになったKPOPアイドル。
まさか日本側が彼らのマネをするように
なるとは、私もパク君も想像だにしなかった。
業界でも、組織でも私達個人の活動でも、
本気で挑む者だけに、道は開かれると感じる。

われわれに課題として与えられるもの
何かを乗り越えても
そこでゴールではないのが人生。
何かを避けても
別の角度から課題がやってくる。
友人で、結婚して幸せそうな人を
見たことがない、と言って未婚の人が
いるが、独身者にはまた別の課題が
与えられる。
平穏無事に暮らしているように見える人
も、外に見せないだけで課題はこなして
いるだろう。
そして生きている間に何度か訪れる挫折。
そういう点では平等なのではないか。
生まれつきめぐまれた環境に居たり、
ラッキーな出会いを引き寄せたり、
そんな人には理由がある。
積み上げてきたものがあるんだ。
前世からのモノもあるかもしれない。
だからこそ何か起きて落ち込むこと
があっても、くさらず、いじけずに
気を取り直したい。
生きているかぎり課題は与えられる
ものだから。
