壁は越えるのでも壊すのでもなく横にスライドする

人生の思わぬところで立ちはだかる壁。

 

15年以上前だが、日本語を全く話せない

外国人ふたりの仕事を私がみつけざるを

得ない状況になり、様々な会社に電話を

かけまくったという経験がある。

 

うちで面倒をみていたので、彼らの仕事が

決まらない限り、我が家の経済的負担は

増加する一方で、差し迫った状況だった。

 

かなり前の話で細かくは記憶していないが

平日はフルタイムで仕事を終えた後、子供を

保育園に迎えに行き、(さすがに食事の支度

や掃除は皆で協力して行っていたと思うが)

家事の合間に求人のある会社に電話をかけ、

夜は日本語を少しでも覚えてもらおうと英語

を使って教えていた。

 

土日も会社によっては連絡可能なので電話で

私の休日は潰れていた。

ほとんどの会社は日本語ができない人間を

雇う気はなく、面接に至るのは難しかった。

 

一体何件かけたのだろう。

少なく見積もっても週に50件として10月の中旬

から始めて2ヶ月経ち、12月の中旬まで400件、

いや500件以上か。私は先が見えない繰り返しに

嫌になってしまう時もあったので、もっと少なか

ったのか、記録はもう手元にないので定かではない。

 

もうすぐクリスマスという時に、ふたりとも別々の

会社で面接をしてもらえることになり、同行した。

ひとりは年内から、もうひとりは年明けから働ける

事になった。

 

年明けから落ち着けると思ったのもつかの間で、

ひとりの職場が会社を閉める事になり、職を失った。

また電話をかける日々。

やっと面接に行けてその場で断られた日の帰りの

電車の中ではらはらと泣かれた。

 

泣きたいのはこっちの方だったが、慰めて励ました。

それから1ヶ月。親切な社長との出会いがあった。

面接に同行して応接室に通された時点で、かなり

こちらに好意的だと感じ取れた。山は動いた。

 

よくビジネスで不要な人にセールスするのではなく

必要な人を見つけるのがポイントと言うが、求人も

同じである。

諦めずに続けていると出会いがある。

 

職探しを始めた時は、普段、楽観的な私にも光の

見えないトンネルのように思えた。 

いや、目の前に立ちはだかる大きな壁だった。

 

一連の出来事は大変ではあったけど、壁を必死で

よじ登ったわけではなく、力任せに叩いて壊した

のでもなく、例えて言うならインディジョーンズ

の開かずの扉が急に開いた様なイメージ。

 

諦めずに色んな所を根気強くトントン叩いていたら

ここだけ音が違う!て場所を見つけてそこを押して

みたらスーって扉が開いて前へ進めた感触だ。

 

今日ここでこれを書いたのは自分への応援の意味

もある。

残りの人生、この経験を忘れずにいたいと思う。

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