もっと友達に会えばよかった

高齢者に聞いた、やっておけばよかった

と後悔している事、のひとつである。


人生の節目で遠く離れる事があっても

近くに寄った際には友に連絡してみる。

それが大切だ。

意外と友人は予定を合わせてくれる。


去年の今頃、予定していたスポーツ大会が

延期になった。

当初ホテルと新幹線をキャンセルしよう

考えたが、思いとどまった。


川崎にとっていた宿は日航ホテル。

泊まった事がなかったのでホテルの

部屋もみたいし、そこを拠点に都内と

横浜で遊べるではないか。


今週行くんだけれど時間とれる?

確かそんな感じで数人に連絡した。

中には、東京に来てるのだけど明日

お茶できる?と7年ぶりに電話した

友達もいた。


誰かに会いに行く目的だけでそこを

訪れるというのは、恋人や家族を除き

なかなかないのではないだろうか。


現に研修や出張、あるいはユニバに

遊びに来るついでに大阪の私に会いに

来てくれた東京や横浜の友人がいる。


私も母の見舞いや出張で首都圏へ行き

その際に友人と会食していた。


でも今回は美味しい物を友達と食べ

よう、と決めて関東へ向かった。

ただ食べて話したかった。

大会がなくなったからといって、全て

約束をキャンセルしてしまい、その後

会わずに終わる友もいるかもしれない。


そんな恐怖を抱いたのは、4年前に

40代の友をなくした経験からだ。

彼女は健康体そのものに見えていた 

が、私の知らぬ間に病気に蝕まれて

いた。


そう、知らない内に状況は変わるのだ。

友人の状況も私の状況も…。

だから、遠慮せずに連絡していいと思う。


友達だから、タイミングが悪かったら

断ってくる。

実際、コロナ禍で3人の会食でも感染が

気になるからと断わってきた人もいた。


かくして、ベジタリアンもどきの生活を

していた私は、思い切り牛タンや中華や

メキシコ料理を東京で堪能した。


7人の友と面接のように時間を区切って

会ってもらい、久しぶりに対面で話し

楽しかった。


そのあと世間の状況や規制も変わる中

行って良かったと思った。

やりたいと思いつつ実現できていない事

をひとつづつ潰していく、会いたい人に

会える時に連絡をとる、は今後も続ける。

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油断すると足元をすくわれる

今年は油断していると足元をすくわれた

というか、安心して機嫌よくしていて

外からの力で逆転させられる事が何度か

あった。

 

でも、そのひとつひとつに意味があり、

神様のような存在が何かを気づかせて

くれる為の仕業だと思うようにしている。

 

実際、その後少し救われる采配があるのを

感じ取れるし、孤独でも頑張って行け、と

いう天からのエールも感じる。

 

何より色々と悩み事があるうちは、気を

取り直して、背筋を伸ばさなきゃ、と

思えたりする。

人それぞれに一生課題を与えられ続ける

ものだし。

 

今年残りもあとわずか。なるべく淡々と

平常心を保って過ごしたい。

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神社は非日常体験 お参りの意味

先月熊本に行く機会があり、

パワーを頂きたくて、神社を

訪れることにした。


友達にすすめられて行った神宮の

裏手にジブリの世界を彷彿させる

森が広がり、文字が消えかかった 

立て看板の指示に従ってしばらく

歩き進んでいた。


11月の晴天の日で、午前11時前でも

日向を歩くとシャツ1枚で汗ばむ

ほどの暖かさ。

一方、神社の敷地の中は特有の

空気が漂い、日陰は冷気を感じた。


寒いと感じながらもジブリの森を

歩き続けた。

立て看板の最終地点に何があるのか

看板の文字が読めないだけに余計に

気になったが、私以外の人けがなく、

怖くて途中で断念した。


来た道を戻る中、ふたごの様に途中

から幹が分かれている数百年選手の

杉の木が私を見下ろしていた。

実際は見守ってくれていたのかも

しれないが、とに角怖かった。


都市に住んでいると、何かを怖い

と感じる機会はとても少なくて

その時間が有難い。

神社の、特に裏手にまわる事に

意義を感じる。


人間に天敵がいなくなって、

世界を上手にまわしているか

と言えばそうではなく、共通の

敵が現れない限り地球人は団結

しない。


話が遠くなったが、人間はいつも

自然の一部で、生かされていると 

いう当たり前の事を恐怖と交換に

教えてもらえる。


帰り道にお天道様が木々の間から

光を与えてくれ、日向を作って

くれた。

畏敬の念を抱いたあとの安心感。


それは都会に帰ってもいつも

空から見守っているよ、という

メッセージに思えた。

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家へ帰ろう おすすめ映画

アマゾンプライムのレビューで

高い評価を得ていたので、観て

みようと思った。


最後のスーツを友達に渡す旅に出る

老人の物語。


その程度の情報で観始めると、まず

抱いていた老人のイメージを

くつがえされ、狡猾な孫との

やりとりに引き込まれる。


理想的な大家族にとって、もはや

おじいちゃんは、おとなしく施設に

入って欲しい存在でしかない。


言うことをきくふりをして、、、

これ以上書くとネタバレするので

書けないけれど、人間いくつに

なってもワガママであるべきだと

感じる。

自分の望む事は断固果たすべき。


残酷な描写は出てこないものの、

ポーランドに住むユダヤ人にかつて 

何が起きたのかは想像できる。


時々入る過去の映像と短いセリフが

現在とのギャップを映し出す。


旅の道中で出会う魅力的な人々。

その人達を助け、助けられつつ、

おじいちゃんが誤魔化していた

問題と期せずして向き合う事になる。


人間の信頼関係って何なんだろう、

と考えさせられる。

長年かかって作ったファミリーより

遠い過去の友情が生きる支えに、

最後の力を振りしぼる原動力となる。


いくつになっても自分で決めて行動

することが、後悔を最小限にとどめる。

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ゾロ目を目にする事の意味

ゾロ目を目にする事に意味なんてない

と言い切る人が好きじゃないです。


何度も数が揃った同じ数字を目にするのは

たまたまその時間帯に帰宅したり、出かけ

る事が多かったりと生活パターンに依る。

行動の節目で時間を確認するからであり、

何回もゾロ目を見る事に特別な意味はなく

シンクロニシティではない、、とさ。


数字に対するロマンが何もない。

数式は美しいと学者が言うように、

占い師が生年月日を元に、過去や未来を

みるように、我々が普段感じる以上に

数字には意味があるのだと私は思って

いる。


1111や2222、または444を普段の生活

の中でよく見るのだが、ネットで検索

して数字の意味を調べてみると、応援歌

受け取れる内容が出てくる。


そう、自分自身を鼓舞して前に進みたい

時、見えない何かが目立つ数字を通して

私の背中を押してくれる。

励ましのメッセージと受け取りたい。


確かに午前の11時頃、午後の10時頃は、

私にとって、スマホをみる余裕のある

時間帯と言える。

ただ、ゾロ目からは話がそれるが、

私と倅の生年月日は、誕生した時間も

含め、4つの数字だけで95%構成され

ている。

2人の生年月日を見比べるて見ると、

ほとんど同じ数字が並んでいるのだ。


とても縁を感じるし、不思議な現象

だと思う。

宿命的な数字と、運を切り拓いて

いくための数字。

普段は意識していなくても、我々は

あらゆる数字に囲まれているし、

時にはそこから得られるヒントを

味方にして生きていきたい。

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本当に毎日は24時間なのか

色々な事をやると1日が長く感じる。

 

仕事に追われて様々な業務をこなした時

ではなく、

朝から趣味に没頭して、少しだけ世間の

流れの勉強をして、好きな動画を観て、

そして、

少しだけ仕事をする。

 

作りおきの惣菜やジャムを用意する為に

野菜を刻んだり、果物の種を取り出す

作業に没頭する。

 

運動せずに終わりかけた1日の最後に、

わざと歩いて20分くらいかかる遠くの

スーパーまで買い出しに行く。

 

23時閉店ギリギリのスーパーに人は

ほとんどいなくて、手持ち無沙汰の

店員さん達がこちらの様子を控えめに

うかがっている。

 

自分が能動的に、主体的に行動した日には

色々なことがやれたなぁと充実感を感じる。

 

やりたくない事を追い立てられて行動して

いる時は、時間が足りないと焦ったり、逆に

まだこれしか時間が経っていないのかと嘆い

たりして、とにかく体に悪い事この上ない。

 

月に一度の繁忙日、ならまだしも、来る日も

来る日も他人に追い立てられる生活では、心身

共におかしくならない方がおかしいだろう。

 

自分に与えられた24時間をいつくしむ余裕が

欲しい。

少なくとも日本にいれば、それは自分の意思で

実現可能だ、という事に気づく。

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過去の自分にありがとう②

前からやってみたいと思っていた事を

実際に試してみると、想像とは違い、

期待外れな結果になる事はままある。

 

しかし、やってみたいと思うワクワクの

気持ちが誘導してくれた先には、単純に

面白いか否か、やりがいがあるかどうか

だけでは終わらない、思いもかけない

宝物が待っている時もある。

 

私の場合、自分の子供が幼い頃から、

塾講師をしたいと思っていた。

塾が始まるのは大抵夕方からで、何人か

(何クラス)を受け持とうと思うと、

終了時間が遅くなってしまう。

 

子供を預けていた公立の保育園では、

きっちり決まった時間までしかみては

もらえなかった。(確か5時か6時)

一度だけお迎えの時間に遅れた時は

鍵のかかった門の前で、担任の先生と

息子は手をつないで私を待っていた。

 

家族の生活リズムを乱すわけにはいか

ないと考え、9時から5時といった

時間帯で会社で働くことが多かった。

息子が小学校にあがると尚更、子供の

生活に合わせる必要を感じて、夕方から

夜働く事は好ましくないと考えていた。

 

今、思い返すと、リーマンショック

きっかけで、派遣会社が紹介してくれる

仕事がいくらでもあった状態から、突然

契約終了の告知をされ、その後の仕事の

手配などまったくしてもらえない状況に

追い込まれた。

 

しばらく失業給付を受けたあと、

アルバイト先をみつけた。それだけでは

到底派遣で得ていた収入には追いつかず、

そこで初めて昼間のアルバイトの他に

塾で週に2.3回、短時間でも教えて

みようという決心をした。

 

子供もその時はすでに、小学校の高学年に

なっていた。

とは言え、自宅から電車で30分ほどかかる

塾に私がいて、子供は家に置いておくのは

災害などあっては困ると心配だった。

結果、私が授業をしている間、息子には、塾の

近くのファーストフード店で、宿題をやりつつ

帰りを待っていてもらった。

 

そこまでして他人の子に教えて、自分の子を

ひとりにする必要があるのか、と今書きながら

思うが、当時はどうしてもやってみたかった。

 

そして、その経験が、5年後に想定外の形で

私に別のモノをもたらしてくれる。

 

実際塾に通う生徒にとって、自分が役に立った

かは怪しいところだったが、それから数年後、

その経歴が役に立った。

大阪に移住後、東京で登録した派遣会社の

大阪支店の担当者が講師経験というキーワード

を手がかりに連絡してきてくれた。

 

全国各地で会計システムの操作説明会を行う

という仕事だ。

講師は4名。地域を手分けして北海道から沖縄

まで、全国を訪れるのだ。

たまたま私が担当になった倉敷や金沢は

以前から訪れたいと思っていた街で

出張の合間に観光もできた。

 

説明会の参加者は、15名程度の時もあれば

100名の時もあった。

行きたい場所に行けたのも収穫だったが、

何より、幼稚園、小学校に通っている頃、

人前で話すのが好きだったと思い出した。

 

塾で教えてみたい、という自分の気持ちに

従った経験が、知らない世界を見せてくれ、

また自身の幼い頃の得意げな昂揚を大切に

したいと思わせてくれた。

 

人生、何がどこに繋がるのか想像もできない。

自分の声に素直に従って行動してみても

悪いようにはならない気がするのです。

やらずに終わらなかった自分にありがとう。f:id:konogaiku:20210928015411j:plain