年齢を重ねた時に活字がまた重要な役割を果たすー後期高齢期の生き方へ繋げる

最近、どういう風に歳を重ねていきたいかと

個人的によく考える時間が増えた。

 

両親がいなくなり、子供が二十歳になり、

今の生活習慣がいずれ自分の未来に反映されて

いくと思うと、決して早いとは言えない。

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今年、東京のママ友達と話した際に、子供には

なるべく年老いた時に迷惑をかけたくないという

意見がみんなの一致するところだった。

 

元気でいる為に大事なのは、運動とか食事、人と

の交流。

が、だいぶ意識して生活しないと、マイナスな方に

偏りがちな環境に身を置いていると感じる。

自分だけでなく、どのママ友も同じ状況下だった。

 

基本的に実家は頼らず、街に住んでいる。

子供がいるからと言って将来頼れるとは限らない。

地域の交流をおろそかにしたり、職場以外の人間関係

を作ろうとしないと、いずれ孤立するだろう。

 

非常時に助け合える人間関係を築いている人は強い。

 

そしてもう一つ重要な事は活字に触れて自ら情報を

取りに行き、自分なりの考えを持っている事。

それもできたら最強だ。

 

私には、四年前の同時期に夫を亡くしたふたりの叔母

がいる。

 

 ひとりは朝食後にくまなく新聞を読んでおり、もう

ひとりは健康本や話題になった小説を読んでいる。

80代前半と、70代後半である二人ともに、2、30年前

と変わらずに私は会話を楽しめている。

言葉が出てこないといった現象はほとんどないのだ。

 

ただ、二人とも高齢者になって急に活字を読み始めた

わけではない。

ただでさえ、年齢を重ねると、読みづらさを伴う活字

を追う作業。

やはり他の事と同様に、普段から継続している訓練が

あってこそだ。

 

とは言え、両オバは昔から図書館で本を借りたりして

読書は頻繁にしていた記憶がある。

努力しているわけではなく、好きで続けている事だ。

 

でも言葉は生き物。触れていないと出てこなくなる。

言葉のインプットとアウトプットは生涯大事だと、

二人を見ていて痛切に感じる。