ピンチがチャンスと気づく時

あのピンチが実はチャンスだったのだと

気づくのはいつも少し時間が経ってから。


テレビドラマ『半沢直樹』を観ていて、

(あ、この政府系銀行って私が就職試験

を受けた銀行がモデルだ。)と気づいた。


半沢がいる銀行ではなく、航空会社の

再建を支えるべく、全面的に協力する

と挨拶していた方だ。


時は我が就活時代。かの銀行から学校へ

求人募集がきていた。

記憶は定かではないが、両親と相談して

そこを受けることにしたと思う。


就職試験と言っても形式的なもので、

面談が重要視されるモノだと思った。

2名の募集に同級生とふたりで行ったのか

元々1名の募集であったのか、これまた

記憶があやしいが、とにかく、私だけ

落とされた。


のんきな事に他の会社を受けると特に

考えておらず、茫然とした。

就活を甘く見ていた事は間違いない。


就職課に二次募集がきていた会社を

受けるよう私は勧められた。

「先輩も行っていて、新人でも会議に

出て意見を言えるらしいわよ。」と

自由そうな社風を聞かされた。


無事に受かって入社してみると、本当に

新人の私も会議に出て意見を求められた。

業務を改善するには新しく入って来た人

の見解も大切とされていた。


もし前出の政府系銀行に入行していたら

どうだっただろう。

まったく違う会社生活になっていたに

違いない。


新人が知らないところですべて決まり、

決定事項にただ従う日常で、面白くは

なかったと想像できる

(給料面では期待大だったが)


入社して、1年前にできたばかりの部署に

配属され、上司や先輩に導かれ、10人も

いる同期と助け合った。

チーム一丸となって目標を達成する喜び

は人生で初めて味わうものだった。


最初に受けた会社に落ちた時から、流れ

に身を任せてみた。

私の少しだけ就活が滞って落ち込んだ体験

など、ピンチとは呼べないかもしれない。


私の入社した会社はビジネスマンは兎も角

一般人にはその社名は知られていなかった。


そんな時代を経て、多くの人が知る会社へ

と大きく成長した場にいられた事を思うと

一見ピンチに見えてチャンスだったのだ。


誰でもできる経験ではなかった。

会社としては大きくなったが、部署と

しての浮き沈みも目の当たりにした。

それこそ出向、コスト削減、人員整理

と数え切れない人の入れ替えがあった。

文字通り、良い時も悪い時も協力して

同僚と前へ進む図太い精神は育まれた。


ピンチも人生で与えられたもの。

すぐにはチャンスと捉えられないコト

も多いと思う。

だが、結果あの時のピンチが良かった

と思うためには、いじけず、くさらず

あきらめず。

と、場合によっては大きく舵を切って

行動するのも大切。


月並みだけど、人生はその繰り返し

かもしれない。

f:id:konogaiku:20200928010457j:plain