エンディングノートを終活に限らず書いておく必要性を感じました

縁起でもない、と遠ざけてはいられない。

 

エンディングノートとか終活という言葉を

目に、耳にするようになって久しい。

 

そういった記録を残しておく事に興味を

持てなかった私。

少なくとも、去年の今頃はそうだった。

 

介護認定を受けた母の容態は日に日に良く

なっていき、この先共にできる事が増えて

いくとしか思えなかったから。

 

母にそうした記録を残しておいてもらわね

ば、と思いもしなかったし、まして自分が

ノートを書くという気持ちもなかった。

 

まだまだ一緒に何かできると家族が思う

中での急逝。

弟も私も戸惑った。

 

最期はどうして欲しかったか、見送り方は

どう望んでいたのか。

結局、母の希望がわからぬまま、すべて

ふたりで決めなければならなかった。

 

病院での決定や、セレモニーをどうするか

限られた短い時間の中で、多分これを母が

望んでいるであろうと予測して行動した。

 

そして母がわずかに残してくれた物の分与

 

これに関しても母の要望として明確に書き

残してもらうべき重要な事柄だった。

 

今私が思うのは、自分が突然いなくなった

時の為に、家族にどうして欲しいかを書き

残しておく事。

家族全員がエンディングノートを書いて、

情報を共有しておく事の重要性だ。

 

個々の家庭によっては、情報を開示でき

ない事情がある事も考えられる。

そうした場合は法的に効力のある方法で

書き残しておくべきだと思う。

 

家族間の争い事を防ぐといった目的だけで

はなく、亡くなったご本人の要望に沿う事

はもとより、まだ年若い夫婦であっても、

独身でも、自分の人生を見つめる機会とし

て、書き表す事に意味を感じる。

 

子供が高校生以上であれば、元気に過ごし

ていたとしても、いずれ死が訪れる事を

前提に、自分が何をしたいか。何をせずに

人生を終えたくないかを自身に問いかけて

みるきっかけになるのではないだろうか。

 

書く人の年齢や立場によって、書き記す

事が違って当然だ。

エンディングノートというネーミングが

自分とは無縁と感じる人も多いだろう。

 

でも、これだけ日本各地で命に関わる

災害が起きている今、生はいつも死と隣

合わせだと時々思い出してみるのは無駄

ではないと思う。

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