友だちは無理に作らなくて良い、という内容の本が売れているらしい

テレビで取り上げていた本は、10年以上前に

中高生向けに書かれたもので、『友だち幻想』

という題名だった。

 

2017年に売り上げが加速して、20万部を超える

ベストセラーになり、あらゆる世代に読まれて

いるらしい。

 

友だちとの付き合い方、はやはり人間にとって

永遠のテーマと呼べるだろう。

 

友人関係を長い間、良好に保つのは難しいが、

難しいからといって、わずらわしく感じたから

といって、ムゲにするべきものでもない。

 

なぜなら、友人との時間が時には救いになる事

があるから。

 

 例えば、大きな決断をしようとする時、家族や

恋人、親友の反対にあう事はままある。

心配から出る反対意見で、想いが強いのは有難い

事だが、決心した人の判断をにぶらせ、迷いを

生じさせる事もある。

 

大事な人の期待にこたえようとして、自分の希望に

目をつぶるのは、日本人に限らず、世界中どこでも

起こりうる現象だ。

 

この場合、親友は自分の足を引っ張る人と成り得る。

でも、少し距離を置いた友人や知人だったらどうだ

ろうか。

あなたはその決断自体を友人や知人に話さないかも

しれない。

 

ただ、いつもの様に会って、映画を観て、食事を

共にして、当たりさわりのない近況報告と世間話に

花を咲かせて、

「じゃあ、またね。」と言って別れる。

 

私はそういう時間に救われる事は実際何度かあった。

 

自分に過度の期待をかけない人との交流。

そんなの友だちとは呼べない、と異議を唱える人も

沢山いるかもしれない。

 

だけど私個人としては、友だち、の定義は人それぞれで

いいと思う。

深い、密接な関係でないと納得できない人もいる

だろうし、広く浅くで付き合いたい人もいるだろう。

 

友だちを無理に作らなくて良い、には賛同できるが

やはり、自分と距離感が近い人と、遠い人の両方は

いずれ必要になってくると思う。

 

距離感が近いと思っていたら、疎遠になって、また

近くなる人もいる。

その時々のお互いの生活状況や精神状態などで、

関係性は変わるのだ。

関係性は変わりうる事をお互いに理解している事が

大切だ。

 

学校や職場といった狭い世界で、気の合う人が皆無

といった状況は厳しいが、その世界の外側に必ず

気の合う人が、一緒にいて楽しい人が、なごめる人

が必ず存在する。

 

絆にこだわる必要もないが、お互いに必要とする人

は存在するし、それを信じて生きて欲しい。

 

そして友だちの定義も柔軟に考えていいと思う。

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