神様はその時々で必要な人を与えてくれる

神様が、

あるいは未来の自分が用意して

くれるのかもしれないが、

自分を救ってくれる人との

巡り会いがある。


それは旧知の友との再会であったり、

まったく新しい知り合いができて

何でも相談できる仲になったりと、

ベストのタイミングで出会う。


昨年の私は、プライベートで自分を

責めることが多かったので、

大阪に毎月遠方から来る旧知の友との

お喋りや、

外国の友人とのチャットで自分の周り

の人間関係に関わる愚痴から社会問題

まで内容が多岐にわたるメッセージの

やり取りに、

何度となく精神的に救われた。


一昨年から関係性を持続していなけ

れば、救われる事もなかったのだと

思うと、なんて自分はラッキーなの

かと気づく。


知人の話だが、共同経営者にお金を

持ち逃げされ、月末の支払いができ

ないと追い詰められた時、異変に

気づいた取引先の女社長が、富士の

樹海まで迎えに来てくれたという。


知人男性に一撃をお見舞いした彼女

は、5百万円用意するから使ってと、

なんの見返りもなく生きるよう励ま

してくれたらしい。


ふたりは恋仲でもなんでもない。

純粋に人の命を救おうとした彼女に

知人は助けられ、仕事は持ち直し、

お金もきちんと返しきったらしい。


人との出会いには意味があって、

ただ関係性を持続するかどうかは

自分の選択による。

いわゆる縁は自分でつくるもの、

ということ。


与えられた出会いを、損得なく

続けられた時、その先にお互い

を救う状況が待っているのかも

しれない。

救う方も役に立つことによって

救われる面があるから。

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