親が残してくれたみえないもの

親からもらった目にみえないもの。

しつけとか、趣味とか、そういった

私が影響を受けたものが、歴然と

今の私の家庭に横たわっている。

 

横たわるが適切な表現かどうか、

他に思いつかないので使ったが、

とに角どっしりと茶の間の真ん中

に居座っていると感じる程、生活

の中にあり、私から息子へと

確実に受け継がれている。

 

父は、映画を劇場で観るのが好きで、

私は幼い頃からよく、有楽町界隈の

映画館に連れて行ってもらった。

私が中学生くらいだったか、晦日

大掃除をさぼって、ふたりで日比谷の

映画館で過ごしたのを覚えている。

 

私がアクションものを好きなのは、

洋画が好きな父と共に幾つか観た

007からの影響が強い。

 

かの淀川長治先生が3歳で初めて映画

を観たと知った私は、息子にも3歳で

初めて映画館でジェラシックパークを

観せた。

友人には怖がってトラウマになるので

は、と言われたが、息子は暗い場所で

眠たくなった様で、ほとんどのシーン

を観ていなかった。

 

結果、最初の映画はトラウマになる事

もなく、映画好きな奴の今がある。

残念なのは父が孫である私の息子と、

一緒に映画館に行く事なく逝ってし

まったこと。

 

母からは私は言葉遣いをよく注意され

た。親戚である叔母とタメ口をまじえ

ながら、ひとしきり電話で話した後、

母に年上の人に対する話し方ではない

と叱られた。

 

小学生か中学生だった私はしばらく

その教えに従っていた。大人になった

今は、タメ口と敬語をバランス良く

織り交ぜて話しているつもり。

 

過剰な敬語は相手と壁を作るという

結果を私は出したのだが、気がつく

と、息子も小学生の頃から目上の人

には敬語を使っていた。

 

私は息子に大人と話す時は敬語で、

とうるさく言わなかったので、

「どうして丁寧に話すようになった

 の?校長先生に言われたから?」

とたずねた。

 

「ん〜、まあそれもあるけど、

 あとはママの話しているのを

 聞いたりして真似した。」

とのこと。

 

期せずして、受け継がれてしまった。

 

もう一つ親が残してくれた目には見え

ない脳裏に焼き付いている光景。

 

それは旅行に行った思い出でもなく

一緒に遊んだり、美味しい物を食べ

たりといったことでもない。

 

ほんの短時間の出来事だった。

 

自宅が増築され、自分の部屋を初めて

与えられた私が、自室で夜寝ようとし

ていた時のこと。

もう布団の中で眠りにつこうかという

その時、ドアが開いて階段の光が差し 

んだ。


両親が足音を忍ばせて部屋に入ってきた。

私の寝顔を見にきたのだ。

それまで親子で、文字通り川の字で寝て

いたので様子を見たかったのか。

当時小学校高学年だった私は寝たふりを

してやり過ごした。


ふたりは私の顔をのぞくと、多分すぐに

暗い部屋から出ていった。

ヒソヒソ声で入ってきてひとり眠る私を 

みて安心した両親を想うと、愛されてい

たな、と感じる。


両親それぞれと確執はあったけれど、

その日の夜の光景を思い出すと、

他の事はどうでもよくなる。という話。

 

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